お墓参り 母とのひととき

コラム・日常
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今年もこの時期がやってくる。

普段は なかなか親とゆっくり話す時間がないが、この時期だけは別だ。

互いにあわただしい日常(のフリ)を送っていて、連絡を取る時があったとしてもほんの数分。

しかし、この行事の時だけは色々な話に花が咲く。

今年も一緒に行ってきた、お墓参り。

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コロナのない世界

ぶっちゃけウチの墓は、かなり人里離れた場所にある。 というかだ、墓に辿り着くまでにすれ違う人はほとんどいない。

朝早くに電車に乗り込む。 いつものことなのだが、母親と自分は「最速」が好きなのだ。

もちろん、その日の一番電車である。

この時ばかりはサッカーのどんなフォワードにも負けずスルーパスにも対応、陸上競技で世界記録を持っている選手にも負ける気はしない。事実上では負けるわけだが、「最速という気持ち」の上では間違いなく金メダルだろうという表現だ。

何年続けたことだろうか。オリンピック3大会連続どころではない。レギュラー安泰な二人である。

また、電車の中では決まってラジオを聞く。それも甲子園。

どこのチームかはわからない・誰がいい選手とかも知らない。そんな盛り上がりだけを毎年聞いている。

しかし今年は雨で中止。昨年に続き電車の中は、甲子園がないラジオとなった。

そして、2時間ほどかけて墓のある町に辿り着く。相変わらず人の気配は少ない。

というかだ。「新型コロナウィルスって何?」そんな囁きが聞こえる町でもある。

たしかに たまにすれ違う人はマスクをしているが、この町で感染の報告を聞いたことはない。

良いも悪いも流行に乗らない町である。 

小さい頃から来ているが何も変わらない。

母は言う。

ウチの先祖は人混みがキライだからな。 ついでに流行もキライ。

もちろん先祖は感染症もキライ。 だから今を予測してココに墓を作ったんだ。

妙に説得力がある。

日本のどこかでは「本日感染者100人・1000人・2000人」と毎日のように報道されている。

この町では、その感染者の最大人数にすら敵わない人口だ。

これほどコロナの話題が出ない町は、日本中探してもないのではないだろうか。

毎回新レギュラー話が追加

冒頭にも言ったが、母親と普段は特に長話はしない。しかしこの時ばかりは別だ。

そして決まって話す内容は、現在の身の上話ではなく昔の話だ。

アンタの小さい頃は… ウチは昔から… ここらで小さい頃よく遊んでたもんだ…

毎回似たような話なのだが、このレギュラー話に毎回少しずつ新しい話が仲間に加わる。

今回新たに加わったのは、戦後に生まれた母親の小さな頃の話。

ウチのじいちゃん(母親の父)は戦争に行ってやっとの思いで帰ってきたんだ。背中に銃弾をくらいながらも、なんとか生きて帰ってきた。

そして、じいちゃんはココに自分たちで家を建てた。

アタシ(母)が小さい頃テレビがなくてな。2.3軒となりに駐在所があって。そこにテレビを見にいってたんよ。

でも、着てる服が汚くて汚くて。その家に入るのが恥ずかしくてな。でもその駐在所の人はいつも「遠慮なく見てけ」と言ってくれてな。ありがたかったの…

もちろん敗戦国というのもある。それに加えてココはド田舎だ。家電なんでものは無い。ある方が珍しい。いつも母親がいうのは「アレはアレでよかった。今の世の中は便利過ぎる」と、いつも言う。

かくいうワタシは今まさにパソコンで「コレ」を書いている。それもエアコン・家電に囲まれた部屋で。

こんな事も母親は言った。

便利なものが増えて、人との繋がりは減ったなぁ

と。

墓を洗い 心が洗われる

墓がある場所に着いてまずすることは、全体を見渡すこと。

一昨年に話していたことを思い出す。

墓が並んでいる隣に大きな松の木がある。それもかなり古い。しかも腐ってきている。

「この木やばいよなぁ」 「いつ倒れるかわからんなぁ」

そう言ってたのが一昨年。

その木は、無事に昨年切り落とされていた。

そして、昨年から毎年恒例となったのがこの話。

ここの木やばかったよなぁ・・・

見事に毎年のレギュラーの座を掴みとったのだ。

きっと来年も話すことだろう。

線香に果物と飲み物。 墓を洗って拝む。

ふと母親に聞いてみる。

「ここに入ってるのって、じいちゃんとばあちゃんとおっかあの兄弟だけ?」

初めて聞いたかもしれない。 母親は答える。

いいや、じいちゃんの親も入っとるの。

初耳だ。これまたレギュラーを獲得か? 

いや、

ワタシは来年この質問をしない気がする。なぜだかわからないけどしない気がする。

母親はこう 続けた。

実はな、昔ここでは土葬をしとったんよ。戦時中・戦後ということで まともな火葬が出来なくて、そのまま土葬をしとった。それが普通の時代だったんよ。

そのまま埋めるのがしばらく続いて、その次は かなり時間のかかる火葬。 

そして今はパッパと燃やす火葬や。

ワタシがそれに応えるかのように言う。

「昔のインドとかでは、火葬して河に流すんだってね。 スゴイ時間かけて燃やしても、全然燃え切らないだって。」

何かの本で得た知識を言った。 それに母親が応える。

そうだ。全然燃えねーんだ。 昔はそれが普通だったんだと。

今は違うだろ?

燃える箱に入れれば骨になっとる。

便利なもんだが、別れが半減するような気が… 気のせいか。

墓の前で話た内容は、「ワタシが来た」と どっかのヒーローばりの報告と「土葬と火葬」の話だけだった。

それでも心が洗われたような気がする。

なぜだろう。

リピート再生

そうそう長い時間拝んでいるわけでもない。なのに長い時間を過ごした気分になる。

これが毎回思うこと。実に不思議だ。

そして帰り道。これまたレギュラー話に花が咲く。

仕事は順調か? なにしとんだ? 体は平気か? メシ食っとんのか?

ワタシの返答はすべて「うん」だ。 この答えも毎年同じだ。

子供は親より長生きするのが一番の親孝行だ。しっかり生きろ。

もちろん答えは「うん」だ。 毎年リピート再生の超レギュラーだ。

しかし今年はちょっと違う提案をしてみた。

「コロナ収まったらさ、どっか温泉でもいかん?」

ありゃ。今年はいい話聞いたな。儲けたわ。

「それにどこかで和食とか食べにいこうよ」

それ言ってくれるだけで満足だ。今年はついてるな。

まぁコロナとか落ち着いたらな。

コロナが落ち着いたら。そう言った母親だが、コロナが始まる前から言っていた話がある。

それは、

世の中便利になりすぎた。全員が己の欲ばかりを思って暮らしている。地球もおかしくなってきた。そろそろバチが当たるぞ。

そのバチが本当に来た。地球が怒っているのだろうか。 そして母親は預言者だろうか。

次のレギュラー

帰りは決まって田舎の食彩館みたいなトコ寄っていく。

野菜が安いからだという。そして毎年ついつい買い過ぎるのもレギュラーである。

「買いすぎじゃない?」

そこらのスーパーで売っている薬品だらけの野菜は食いたくないんでな。

ギク・・ちょっと前に勉強した「白いご飯ダメ 砂糖ダメ 塩ダメ 売店の野菜ダメ」「人間の病気は人間が作り出したもの」 その知識を遥か昔から知っていたよと母親の一撃。かなわんな。

送り際、母親に言っておいた。

「温泉とか行きたいとこ調べといて」

考えとくわ。

そう言って、その日はバイバイ。

しかし、ワタシはふつふつと「こんな想い」が湧き出てきた。

「温泉いこーよ」のくだりは毎年のレギュラー話にはしない。

「温泉行った時の話」をレギュラー化しようと企むワタシであった。 

おしまい。

タマ
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