別れには様々な種類があります。転校・転勤などもあれば、人生の別れもあります。感じ方は人それぞれです。
今回は「別れ」の人間物語をお話しします。様々な場面で出会いと別れがありますが、その時の人間の心理・感情が出てくるのでしょうか?
自分ではそんな考えてなかった
ちょっと前に取引先の担当者さんの異動が決まった。 同じ会社ではないが、真っ先に自分に連絡がきた。「え、そーなの?寂しいねぇ・・」 と言ったら「タマさんには、お世話になりました・・ ほんといろいろ勉強になりました」と。
たしかに長い期間の付き合いはあったが勉強になりました? ん? というかワタシ、いつぞやアナタに「ガチギレ」したのですが? 案の定のその時の話も言われた。その担当者は「あの時はマジでどうしようかと悩んだし、マジで勉強になりました。」とさ。
たしかに、こちら側も本気だったので譲れなかった件と、あと人間としてどうなの?という件。
「アンタ『ありがとう』と『ごめんなさい』って言えないの???人として。」 なんてこと言った。その担当者さんは、今まで誰にもそういった事を言われたことが無かったそうで。
会社関係での異動は簡単だ。
- 接点があったか?その接点が長かったのか短かったのか?
- 接していた内容がどうだったか?良好な関係か?険悪な関係か?
- 業務以外の自分の姿を出していたか?
- あとは「人」としてどうだったか?
今回居なくなる担当者さんは、自分とさほど深い接点はない。が、人間的な事について言われた事が、かなり頭に響いていたらしく。その人が居なくなったあとに取引先の別な人から「あの件があってからアイツ変わったのですよ」とも聞いた。ワタシとの別れが結構辛かったらしい。良い意味で。
良くしてあげた・されたで「居なくなる悲しみ」が上下する。今回の話は取引先だが、これは社内の人間でも一緒。 上司・部下で多少の変化は起きるが、ほとんど一緒。
嫌な人との別れは何の感情も出ない。過去によくあった「きつくされたけど居なくなると寂しいな」などという感じは昔ほどない。50年前だったら誰が居なくなろうが「寂しいですね」だったかもしれないが、時代は変わった。本当に良くしてくれた人にしか「寂しい」とい心理は出てこない。自分も含めて、そういう人が増えてきた。
今回の件では「自分は大した事を相手にしたつもりはないのに、相手には響いていた」といったところか。別れのレベルは「された側」によるのだろうか。
ワタシはそう思わなかった。ドライなのだろうか。
それはズルいよ
数年前、社内のとある方が亡くなった。中年の方であまり接点は無かったが。
その亡くなった方はやさしい人だったが、「指摘されやすい人」でもあった。「指摘されやすい」というのは、上司からの指示だったり作成書類の不備だったり。他にも日常でとにかく叱られることが多かった。
しかしだ、その中年の人に対して指摘しまくって人(上司A)が「葬儀」で泣いてた。
それがなんか許せなかった。
えーアンタ、そこで泣くかよ?? アンタがやってきた仕打ちが無かったら、あの人はもっと楽しい人生を送れたかもしれないのに。沸々と怒りが込み上げてきた。
今この場で泣くなら、生きている時に優しくしてやれよ・・・
人は生を終えた時に「初めて人間に還る」のだと思う。
地位も名誉も無くなり「ただの人間」となる。そうなった人間にだけ優しくするのはどうだろう。
泣くのはどうなんだろう。それはズルいよ。普段の生活の中でも、もう少し「人間同士の接し方」が出来なかったものか。
その上司Aは、きっと部下の事を人間ではなく「部下」としてしか見れなかったのだろう。
ワタシはそうは思わない
それから2年後、その上司Aが亡くなった。確かに多くの人が葬儀に集まっていた。悲しんでいる人も多い。が、悪事というか、今までやってきたこと。おそらくそちらの方が後世に語られていくハズだ。
偉い人というのは、なぜかしら「地位」を抱いて亡くなっていく。不思議だ。
ワタシは、「惜しい人を亡くした」とは思わなかった。
案の定、数か月後にはその人の悪行が日常の中で語られていた。
だろうな、と思った。ワタシはとてもドライなのだろうか。
別れって
少し気づいた事がある。「別れ」とはその人間と別れるのではなく、その人間の「してきたこと」に別れを告げているのではないだろうか?
様々な別れがあるが「一時的な別れ」は「してきたこと」が優先される。「生を終える別れ」は「してきたことは消される」という気がする。今、自分の目の前にいる人達を、自分はどんな目で見ているのだろうか。
せめてもではないが、こんな言葉を入れておく。
「その人が居なくなったら」ではなく「その人に出会わなければどうだったか?」 そして、もしかしたら別れる前に「ありがとう あなたに出会えてホントによかったです。」と、自分は言っているのかもしれない。そうしたら「別れ」よりも「別れる前」をもっと大事にする人になれるかもしれない。